〜発達凸凹、場面緘黙症の日記〜
春休み初日は、あいにくの雨だった。
先週、卒業式を迎え、一足先に次男は春休みにはいっていたけれど。
長男、長女は、25日が終業式だった。
緘黙の次男。
小学6年の間、担任が変わるたびに、緘黙のことを理解してもらおうと
先生たちに、ずっとこの絵本を引き継いでもらっていた。
卒業式の日、担任の先生に絵本のありかを聞いたら、案の定 忘れていた。。
母:預けていた絵本はありますか?
先生:あれ、そんなのなかったような・・? 引継ぎ書類の中には、紙だけでしたよ?
あっ、中学校でも使いますよね!? 探してみます。
母の心の中:
そんなもんよね。
っていうか、絵本よんだ記憶もない!? 読んでない!?
え゛ーーーー。
数日後、妹便で、後日 絵本が手元に返ってきた。
そーか。中学校でも (この絵本) 使うのか・・? コーディネーターの先生に渡してもよかったかな!?
長男に学校で渡してもらうか?
学年最後の終業式の朝。 ギリギリまで渡すべきか!? 悩む。
だけど、これを渡すってことは。 うちのこ、緘黙です。中学生でもまだ喋れません。
と道を作っているようだ。
高校になっても大学になっても大人になっても、こんなことはやれない。。
「私が喋れないと決めつけていたら、そのまま喋れなくなってしまう。」ような気がした。
昨年 12月の中学の説明会の時点で、コーディネーターの先生にはすでに次男の状況は話してある。とても、理解のある先生で、先生自身も発達障害についてよく勉強している様子が伺えた。
緘黙については知らなかったようだが。相談の予約をとったときに、軽く状況を聞かれ、そのあと緘黙について少し勉強してくれたようだ。 ありがたい(T_T)
緘黙ってね。 療育関係者でさえ、みんな教科書では目にしたり どこかで聞いた言葉なんだけど、「実際 会うのは初めて」って先生が大半。。そんな先生たちに、本人の様子を伝えると・・。
「そういう感じなんだね。。」とよく言われる。
私の話をうけて、中学の先生も。
「クラスに緘黙らしき子は、確かに今までもいたかもね。」と言う。
そーだよね。程度の差はあれ、緘黙症状に似ている子って昔からいたと思う。けれど・・。
緘黙ってほんと、知名度がない。
また、発達検査 (WISC) の用紙があるか?とも尋ねられたけど、
普段の本人の状況を話すと、「話の状況から傾向はわかったから 検査の用紙は必要ない」と言われた。
私も6年以上、こんな話を伝え続けてるし、発達についても私なりに色々勉強してきたし。先生もとても知識があり理解、共感をしめしてくれる先生だったので、そんな紙切れはいらないようだ。
(検査結果の紙をみなくても、母の話だけで状況を察することができる先生ってすごいね。)
次男の場合、緘黙の要因の一つに発達の凸凹さがあると思う。それゆえ不安が高まったり、自信がもてなくて声が出せないのかと。その発達の凸凹さについても、みなまで話さなくても先生はよく状況を把握してくれた。
「そー、そーゆー感じなんだよね。わかるわかる」と。
発達の知識や経験のない先生の場合は、「そーなんですね。それは大変でしたね。かわいそうですね。」と言われてしまう話だ。小学校の先生は、大半こんな感じだった・・。
中学のコーディネーターの先生は、小学校のときに学校にきた臨床心理士の先生より、はるかに知識と経験があるような印象をうけ。まるで、母がカウンセリングにでもきたような気分になった。
次男の今までの様子を伝えると、
次男本人もとても頑張ってきたし、(主人と私の教育方針は同じ方向を向いていない状況を理解し・・) お母さんも一人で頑張ってきたんだね。と言ってくれた。そんなことを言ってくれる人がいるなんて、すごく嬉しかった。
周りに本当の意味で、発達や緘黙について理解してくれる人がほぼいない学校生活。
ある意味、母は孤独だよね。 そんな中、コーディネーターの先生と話ができて、少し母の気持ちが晴れた。それだけで、話にいって良かったと思えた。
そして、中学にもこんなに理解のある先生がいるのかと感動した。
こんなにすばらしい先生がいるのにね。
でも、悲しいかな、各教科担任にはうまく共有されないのだよね。。
中学は、いい担任にあたるのを願うばかりだ。
そんないい先生がいる傍ら、
中学全体をみると、発達凸凹さんに対して小学校ほど理解がなく、昔ながらのやばい先生が うようよしている。緘黙だとか発達だとか、そんなこと知ったこっちゃない。
「何それ? 気合い足らないっしょ。」って感じだ。
現状、中学生の兄のクラスの様子をきくと きちんと返事が返せない発達グレーの子に、永遠 説教して授業時間が足りなくなる始末・・。昔ながらの先生には、まだまだ理解はされない。
でも、昔はそれが当たり前。
合理的配慮なんて言葉はなかったし、緘黙も世間には知られてなかった時代。
昔にくらべれば、少しずつ理解は得られてきたものの。年齢があがるごとに 配慮なんてなくなっていく現代社会。グレーゾーンの子には、まだまだ生きづらい世の中だ。
親と学校に守られてきた小学6年間。
中学という社会の中にでて、少し揉まれてもいいのかもしれない。
誰も、あなたの状況を知らない。
話さなければいけない必要性を感じ取ってもらったほうがいいのかもしれない。
その中で、うまく生活していくには「話すことは必須」。
周りに理解してもらうのではなく、周りに気を使ってもらうのではなく
自分が自分を変えていかないといけない。
大人になるんだから。
しばらく様子をみて、どうにも苦しくなってきたら。
そのときに、初めてこの絵本を手渡して相談しにいこうかな。
小学校も卒業した。今までみたく、
先手先手で子どもを守るのではなく、本人の頑張りをサポートする形にまわろうかな。
もう中学生。あと数年後には、社会に出ているかもしれない。
少しずつ、自立の道へ。